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読書散歩【5】カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』再読(2021/11)
読書散歩【5】カズオ・イシグロ 著『忘れられた巨人』ハヤカワepi文庫2017年。早川書房。土屋政雄訳。
久しぶりに読書を堪能したくなり、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を手に取る。一度読んだ後、何冊かイシグロの小説を読んでからの再読である。けれども、読み始めると、既読感はありながら、「こんなことが書かれていたのか」という驚きもある。たぶん初めは、ファンタジーというジャンルのくくりにとらわれて、ストーリーは追っていたが、文章そのものは味わっていなかったのだろう。味わうといっても、翻訳なので、文章の奥にあるものとでも言ったらいいだろうか。
読み終えてみて、アーサー王亡き後の、おそらく中世のブリテン島を舞台にしているとはいえ、その物語は思う以上に身近に感じられるものだった。深読みをすれば、アーサー王亡き後の時代という、ファンタジーの衣で時空への旅へと誘いつつ、現代に生きる私たちへの警告のような寓意的な物語を描いたのだろうか。
古い時代の亡霊のような老騎士ガウェイン。雌竜退治の密命を担ったサクソン人の戦士ウィスタン。息子を探すための旅に出た老夫婦のアクセルとベアトリス。雌竜から受けた傷を持つ少年エドウィン。彼らの旅とともに物語は進んでゆく。老馬ホレスを連れて甲冑を着込んだガウェインは、ロシナンテを連れたドン・キホーテを彷彿とさせる。(実は、数十年前にある人に勧められて長編『ドン・キホーテ』を読んだことがある。)場面にガウェインが登場するだけで、まどろっこしくもありながら、滑稽味を感じてしまうのは私だけだろうか。
この遠い中世の頃のような物語を、身近に引き寄せて読むことができるのは、アクセルとベアトリスという老夫婦の心の襞が、細やか描かれているからかもしれない。二人の絆は永遠のものであるということを、信じようとしながら苦しむ心理的葛藤は、誰かを愛そうとしたことがある人ならばうなずけるものがあるだろう。竜を守護していたガウェインを倒した戦士ウィスタンによって、雌竜クエリグは退治される。マーリンの大魔法で竜の息に「忘却」という魔法をかけたことにより、かつての敵とも争うことのない平穏な日々が長く続いた。けれども、その竜の死によって「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出」し、「怒りと復讐への渇き」による虐殺の日々がこれから訪れるだろう、とウィスタンは語る。そして、その国を覆っていた忘却の霧が晴れてゆくとともに、老夫婦のそれぞれの記憶も呼び戻される。旅によってより一層固く結ばれていたはずの二人の絆に、亀裂のような痛みがしみ込んでゆく。三途の川で最後に二人が会う、底意の知れない船頭の存在は、空恐ろしくもある。二人は死後も、岸のあちら側で、真実の愛の時間を手に入れることができるのか。ベアトリスを乗せた船頭の舟を見送りつつ、アクセルは一人歩き始める………。
この物語を通して、作者が読者に与えようとしているのは、ファンタジーという言葉から安易に連想する、心地よさや安心などではないだろう。この仮初の空間を通して、眠っていたものを揺さぶり起こすこと。そこにはまた、昨日あったことも忘れて、異物を排除しようと狂気の集団に化する、村人たちの姿も描かれている。それはフェイクニュースに踊らされる、現在の私たちの写し絵ではないのか。前世紀の大戦での大量虐殺の記憶さえ薄れかけ、今もこの世界のどこかでも行われている怒りと復讐の連鎖に、目を閉じて安穏と暮らしている日々に向かって、「忘れられた巨人」は今もなお生きている、心の闇のどこかに潜んでいる、とイシグロは伝えたかったのではないか。
イシグロが試みたファンタジーという形式は、夢見るための装置ではなく、目覚めるための装置であり、癒しというよりも辛辣な警笛として、心に響く。
(2022/02/10)