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読書散歩【2】三島由紀夫著『夜告げ鳥 初期作品集』(2021/3)
【2】三島由紀夫著『夜告げ鳥 初期作品集』平凡社
『夜告げ鳥 初期作品集』は三島由紀夫の未刊の本である。『仮面の告白』(1949年)の刊行の一年前、二十三歳の時に自ら企画したが、版元の倒産でお蔵入りになっていた幻の作品集である。三島が手書きでまとめたものを、本人の構成案を忠実に再現して、平凡社が没後50年を記念して2020年に出版した。その全体は、評論と詩と小説の三部から成っている。 通常は最後に来そうな評論が、なぜ最初なのか。それは、三島にとっての実体(核)は評論であり、詩がそれに羽織る衣装、小説はその姿を映し出した鏡であるからなのではないのか。歌舞伎や川端康成の作品について語りながら、その評論は実は「私(三島)」を語ってはいないだろうか。詩において言葉というきらびやかな薄衣からから透けて見えるのは、深い穴(虚無)のようなものであり、小説および戯曲で繰り広げられるのは、現実のように見事に築き上げられた鏡面(幻)の世界なのではないか。この作品集の不思議な構成に対して、私はそんな印象をもった。
この本と一緒に、『芸術新潮 第71巻 第12号(2020/12)没後50年 21世紀のための三島由紀夫』(新潮社)と高橋睦郎の新詩集『深きより 二十七の聲』(思潮社)を読んだ。高橋睦郎のこの詩集の最後は、亡き三島由紀夫との高橋の架空の対話である。生前の三島と縁浅からぬ高橋の詩を読んだ後で、もう一度三島の詩「夜告げ鳥」を読み、ノートに書き写した。「夜告げ鳥」という詩が言葉を超えて告げようとする何かに、少しでも近づくことができればと。『夜告げ鳥』』の解説で井上隆史氏は書いているが、「夜告げ鳥」は東京大空襲の間に書かれたという。海軍への勤労動員中にあった三島が、自宅に一時帰宅していた時、五月二十四日未明から五月二十五日午後十時に空襲があり、その折にこの詩は書かれた。そのことは、詩の末尾の日付にも「昭和二十年五月二十五日」と記されていることからもわかる。第二次世界大戦の東京大空襲は三月と五月にあり、五月のほうが実は焼失面積は大きかったという。三島の自宅は焼失を免れたが、自宅のあった渋谷は焼け野原となったそうである。そういったことを知った上で、「憧憬への決別と輪廻の愛について」と副題されたこの詩を読むと、その言葉の向こうには、空襲の夜空と焼け野原が広がってゆく。煙と匂いが立ちこめ、爆音が響き、警報がけたたましく響き、叫喚のような人々の声が入り混じり、言葉に尽きせぬ様々な思いが漂い始めてゆくようだった。
追記/先日PCで、2020年に公開された映画『三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実』を見た。かつて一人の作家から発せられた言葉の「言霊」は、その後50年を経てもなお、そこには響いていたのではないだろうか。(2021.6.25)